My thoughts on the last day of 2019

⚠闇い記事です。そして何が言いたいのかよく分かりません。

温かい目で見てくださると嬉しい


1年を振り返る時、いつもやや違和感を感じる。

僕は滅多に写真を撮らないし、自分で書いているブログを見たりもしない。

それは一重に、朧気ながらも確かに存在した、僕が過ごした時間を感じることで、人としての僕のちっぽけな存在を認識するのが怖いから。


10歳の時から自分の、人間の、この宇宙の死生観を考えて来た僕は、時間に対する情念においては他人よりも圧倒的に重くて苦い感情を持っているし、でもだからこそ1秒1秒を大切に生きようと、そう決めてやってきた。


何やら重い話になってしまって、続きが書きづらくなってしまったけど、これはいつものことでもう慣れたかな。
おそらく定期的に吐き出さないと爆発してしまうんだろうなぁ。


まあまあ言いたいことは、時間に対する思いは誰よりも強いし、誰よりも時間の経過を恐れているっこと。

そんな性質をもつから、自分の中に流れ去った時間を認識するのが怖くて、写真を撮るのも苦手だし、過去を振り返る事にも億劫になるのが常であった。

しかし、1年の最後の日くらい勇気を出して過去を振り返ってみたところ、それらの感情があまり沸かなかった。

これが最初に感じた違和感の正体だった。そして、何も感じない事が1番悲しいことだと言うことにも気が付いた。

2018年終わりに東大受験を決意して、意気揚々と迎えたはずの2019年は、想像よりも圧倒的に長くて、けれども思い返すと一瞬で過ぎていくような不思議な感じ。

確かに、いろんな本を読んでみたり、友達といろんなトピックについて話したり、英会話でいろんな国の人と話したり、自分であれこれ難しい事を徹底的に考えたり、

今までやってこなかった事を沢山やれたはずなのに、どこかインパクトにかける1年だったと思ってしまう。


上記のようなことを通して、人間としての根っこはかなり強くなったと思うし、むしろそれを目指した1年だったのに、なぜ今物足りなく感じるのか。
人間を根幹で支える観念は、心の深くまで浸透して、あまり思い出せないのかも知れない。

まあいずれにせよ、何か一つでも大きな事をしとくべきだったな、たった1つの後悔の念が湧いてきてしまう。
海外に旅行するとか、気になるカンファに参加するとか、いろいろ出来ただろうなぁ

これからは1年のうちに身も心も茹で上がるような体験をすることを誓おう。

東大合格もそのうちの1つにしたい

それで来年、そんな体験ができた1年になっていたら、2019の僕は報われる。

最後になってしまったけど、2019年の僕、僕に関わってくれた仲間、マミーと妹、おじばちゃん、また読者の皆さん、


本当にありがとうございました。

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